あの嫌いのにんじん
わたしニンジンが死ぬほど嫌いなんですけど、
なんでニンジンのこと嫌いでいちゃダメなんですかね。
べつにニンジン食べなくてもわたしが死ぬわけじゃないのに。
なんで「ニンジン食べられないの?だめだよ食べなよ」って言われるんですかね。
「ニンジンもちゃんとたべなさい」って言われて、「なんで?」って聞くとだいたい「ハタチにもなって好き嫌いしてるとはずかしいよ」みたいに返されるんですけど、好き嫌いもなんでしちゃダメなんですかね。
なんで嫌いなのものを避けてはいけないのか、なんで自ら不快になりにいかなくてはいけないのか、解せぬ。
ニンジンもね、別にまったく食べられません、口に入れた瞬間リバースしますってわけじゃないんだけど、
おいしいカレーとかたべてるときにふとニンジンの味がしたら「うわ〜〜〜ニンジンだ…」ってなるんですね。せっかくおいしいカレーたべてたのにニンジンに邪魔されるわけですよ。
しかしわたくし忍たまの食堂のおばちゃんソウルを受け継いでいますからね、お残しなんてしません。
さいしょにまとめてぜんぶ食べるようにしてます、かしこい!!えらい!!!
まあ、ご飯とかいくとニンジンを食べられないことをツッコまれたりもするのでわざわざ買って自炊するときもなるべく入れるようにしてるんですよ、とてつもなくえらすぎる。
しかし本当に好きになれない、すごい嫌い。
結構いろいろ頑張った、けど、やはりどうがんばってもニンジンは好きになれない。
そんで、嫌いなものって各々に理由があって嫌いなわけだから一生嫌いのままでいいし無理してまで好きにならなくてもいい、無理しないと好きになれないなら自分に不必要ってことだ、などと思ったわけです。
べつにコレはただわたしがニンジン食べたくなくて駄々こねてるだけじゃなくて、
個人を嫌いになってしまったときに私がビョウキにならないために考えた言い訳をニンジンさんで例えてるワケです。食べ物も人も、なんでもそうだよね〜〜〜っていう話です。
「嫌い」っていう言葉がこの世の中にあるんだから誰かや何かを嫌いになることは絶対に間違いじゃない、みんなお揃いで少しずつ持ってるものなのに、
向けている対象や方向が合わないと急にわたしが最悪な人みたいになるから難しい。
だから「嫌い」を口外したり共有したりするのはものすごくリスキー。
このへんうまく調整しないとまた新しい「嫌い」を増やしてしまって持ちきれなくなる。
用法容量を守って、みなさん明日も快適なdis生活を送りましょう。